【育毛日記】若ハゲ時代のバイトの辛い思い出
突如思い出したつらい思い出をつづってみたい。
僕のハゲが一番深刻だったのが19歳の時だ。
フィンペシア、ミノタブにより今は10代の時はかなりマシな頭髪状況になっている。
ハゲは若ければ若いほど悩む。このグラフをみて欲しい。
ごらんのとおり、10代、20代のハゲ、所謂若ハゲはマジで人生詰んだというくらい悩み思いつめる。
そこから年齢を重ねていくごとに、仕事、家庭、結婚、子育てなど人生における悩みが増えていき、頭髪における悩みの度合は少なくなっていく(と思う)
それと年を重ねるごとに周りもハゲていく。
これによりハゲの悩みは年を重ねるごとにかなり減っていく。
事実、ハゲ具合は変わらないが5年前と比べると、僕の中でハゲの悩みのレベルは下がってる。(正直言うと日による。笑)
ハゲで悩んでいるお年寄りを僕はまだ見たことはないし、上のグラフは大きくまちがってはいないだろう。
ゆえに、10代の若ハゲはかなりつらい思いをすることになる。
一番の事件はあの時だ。
女性比率が非常に高い大学のゼミの飲み会の時の出来事。
僕のスマホが奪われ、生え際のドアップの写メばかりが入っていたカメラロールを勝手に見られた時だ。
あまり過去には執着したくはないのだが、あの時のことを思い出すと
今でも「あ””---っっつsdgふぁいhh!!」と奇声を発したくなる。
もしタイムマシーンが一度だけ使えるのだとしたら僕は、ビットコインを先に買い占めるためでも万馬券を当てるためでもなく、
迷うことなくこの日にさかのぼることだろう。スマホの写真を消すために。
バイトでも辛い思いをした。
19歳の時だ。僕は中華料理屋でバイトを始めた。
コック帽をかぶり、揚げ物を作ったり、皿洗いに精を出していた。
同年代のバイトの女の子ともすぐ仲良くなった。
とても好都合のバイトだった。仕事があがる時間になると離れた更衣室ですっとコック帽を脱ぎ、スッといつもかぶっていたキャップ帽をかぶって帰る。
当時、僕は眉毛から上は人には見せないをモットーにして生きていた。
ところが、初めて営業終了時間までバイトした日のこと。
仕事が終わるとみんなで賄いを食べる習慣があるとのことでみんなでテーブルについた。可愛いバイトの子たちと、店長と僕。
みんなで楽しい食事の始まり、のはずだ。普通は。
「いただきまーす」
みんな学校のこと、お店でその日にあった出来事、たわいもない話で盛り上がっていた。
コック帽をかぶったまま食事をする僕だけを除いて。
僕だけかぶり続けているコック帽。当然だ。
脱げるわけがない。
労働の汗とフライヤーから立ち上った油煙で僕の頭髪はえらいこになっていること間違いなしなのだ。
食事中に一人コック帽がいる。。
誰も、この違和感に気づくな、
この願いは通じず、一人の女の子が気づく。
女の子「てゆーか、それ取ったらー?(ザ・無邪気)」
・・・なんの言い逃れも思いつかない。。取らざるを得ないな。。
腹をくくった僕はスッと帽子をとった。
女の子「え!!笑ぺっちゃんこじゃん!なにそれー」
僕「汗かいたし、、苦笑」
女の子「てゆーかハゲてない!?笑」
僕「い、いやー・・・」
女の子「ちょっと後ろ向いてみて」
僕「くるり(後頭部を見せる)」
女の子「つむじもやばいじゃーん!」
一同 爆笑
僕「・・・」
こんなにごはんの味がしなかった夜は人生で初めてだった。
僕はこの日からラストまでのバイトに入ることは一度もなかった。
ーーー
と、まあ今となってはただの青春の1ページ、、
っと強がってみたものの若さとは残酷なものだ。
あの時、僕の帽子の中の秘密を見事に見破り、そして爆笑した彼女たちに罪悪感はひとかけらもなかった。
当然だ。あれから10年経った今、彼女たちの中であの夜の出来事は一人も覚えていないだろう。
人の心が傷つく音なんか、青春真っ只中の女の子には到底聞こえなかったんだろう。
なんか書いていて、どんどん当時の気持ちが蘇ってきた。。。
訂正する。
タイムマシーンの話しをだ。
タイムマシーンを一度使えるなら、この夜に戻り帽子の中にカエルとゴキ〇リと蛇を仕込んどく。
脱いだ瞬間の爆笑の歴史を、「悲鳴、阿鼻叫喚の歴史」に塗り替えてやるんだ。
将来タイムマシーンが発明されたとして
案外、発明者の開発動機なんて実はこんなものなのかもしれない。。
はい!今週ももう少し!
お互い頑張りましょう。(締め方へた)
【生え際備忘録】